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所感

お墓参り

凌くんのお墓参りをしてきた。

ここ数年は私が行った時にはお供え物はなかったのに今回はお花とコーラが置いてあった。誰かがまだ来ている気配を感じることができて嬉しい。


凌くんはコーラが好きだったので、亡くなってすぐは私もコーラを持参していた。炭酸だと雨が降った後にもしかしたらお墓が汚れるかもしれないと思って持って行くのをやめていて、そのままコーラが好きだったことも、持っていかなくなった理由もすっかり忘れていた。

 


凌くんのご両親がとても寛大で、お墓の場所を教えてくれて、お通夜にも告別式にもファンが参加できるようにしてくれていた。

私は告別式に参列した。

告別式の日はまだ亡くなった実感が全くなくて、不謹慎だけど帰りに友達とプリクラを撮った。

私の学校の制服は赤かピンクのリボンが標準で、それもつけたまま出席した。

記憶はどうしても薄れてしまうから形に残しておいてよかったと今では思うけど、何もかもが不謹慎で恥ずかしくなる。


凌くんが亡くなったのは23歳で、生きていたら43歳。当時はとても年上で大人だという感覚だったけど、私がその年齢を過ぎて感じることは、子どもではなくてもそれに近いような年齢だということ。

まだやりたいことも未来もたくさんあったはず。

病気で薬が合わなかったことが原因だったと記憶している。

数年前、墓誌に妹さんの名前が加わっていた。それを見た時は、ご両親も優しくて大らかで、あんなに明るくておもしろい凌くんなのに早世の家系だったのだろうかと心が痛くなった。

 

仕事で埼玉スーパーアリーナや代々木体育館のような大きな会場でのライブを見る事があって、仕事なので楽しいだとか楽しくないだとかそういうことではないけれど、

大きな会場で予算も時間もたくさんかけられていて、すごい人数のプロが集まって作り出している空間なのに、

凌くんが生きていた時の浦和ナルシスのライブの方が楽しかった。

凌くんだけではなくて、10代の時に体験したライブはほとんどそうだと思う。

人気があるかどうかや会場の大きさはファンにとってはそこまで関係ない。

もちろん大きい会場の方が凝った演出だったりクオリティの高いショーを体験できる。会場全体が一つになるような感覚も大きい方が充足感があると思う。

それでも子どもの時に触れる特別感や小さい会場の良さもある。そして単純に楽しもうという気持ちがあれば大体楽しい。今日はみんなでお手玉やるよと言われても楽しもうと思えば楽しい。


仕事でライブを見る時は徹夜していることが多い。人があまりいない客席でゲネプロを見ていると、人のいる場所に向けて歌ったりファンサービスもするので、

隣の人が寝ていたりするとモチベーションを削いでいないかとヒヤヒヤする。

寝るならまぶたに目を描いておいてほしい。それはそれで邪魔かもしれないけど。


寝ていないから暗くなると余計に眠くなるし、大きい音で心地よいと眠くなる。

つまらないとかそういうことではなく、勝手にまぶたが落ちてくる。

不具合がないかなどの確認の為にその場にいるので、寝るのはありえないことで、私は寝たことはないけどそれでも眠い。

その眠気をカプセルに閉じ込めて眠れない人にあげられたらいいのに。副作用もなく、少し暗くなったり少し暖かくなっただけで気絶するようにどこでも眠れます。

 

私はこんなに徹夜してきっと早く死ぬのだろうなと思っているのに、なんで凌くんよりも長く生きているのかよくわからない。

ただ凌くんが生きていたらこんなに長く関わっていなかったと思う。

この頃によくライブを見ていたのはまだ2人だった時のシド、アリスナインの前のギブス、アヤビエあたりで、どれも継続して見ているわけではないから、バンドをやっていても引退したとしてもこんなに長く関わっていなかった。そう考えるとお墓の場所を教えてくれたご両親に改めてお礼を言いたいな。

触れる人で変わること

小学生の時に新宿区の平和のポスターコンクールで賞をもらったことがある。

私が描いたのは地球の上にいる様々な人種の子どもたちが手を繋いでいる、it's a small worldのような絵。

新宿区には外国人が多く住んでいるので、子どもがそれを平和の象徴として描いていることが選出された理由かなと今の私は考えている。実際の受賞理由はわからない。


学年に一つしかない私のクラスにも外国人の子やハーフの子が何人かいた。ご両親が台湾人で日本生まれの子、お父さんの仕事の都合で日本に来た中国人の子。韓国のハーフの子。

そういう環境だから人種なんて関係なく仲良くしよう、差別はやめようと私が意識していたのではなく、小学生の時の私は意志が全くなくてただ同級生が描いていた絵を真似しただけだった。

どのくらい意志がないかというと、将来なりたい職業は何かと聞かれたらアイスクリーム屋さんかケーキ屋さんと答えていた。甘い物が食べられないのに。

周りがそう言っていたからそういうものなのだと思っていた。

仲の良い友達が公文に行っていたから公文に通っていたし、友達2人でどちらが私と遊ぶかで揉めていた時も、3人で遊べばいいのにと思って黙って見ていた。だけど3人で遊べるように提案したりはしない。

とにかく意志がない。


私が絵を真似したその子は台湾のハーフでお母さんが台湾人だった。

お父さんが日本人なので、名前も日本名で、ハーフだと知らなければ外見ではわからなかった。何か違う所といえば宗教上の理由なのか子供の時からピアスをしていたくらい。


その子はハーフを理由にいじめられていた。


そんなわけない。日本生まれの台湾人の子も中国人の子もいじめられてはいない。

韓国のハーフの友達もいじめられてはいない。

ただ可愛いから誰かが嫉妬してとかそんな理由だったと思う。いじめに正当な理由なんて存在しない。

ただ叩きやすい所を見つけて、人の弱みにつけ込んでストレスを発散したいだけ。

それでもその子は自分のルーツを大義名分にされていじめで傷ついていたのだから、その切実な、希望のような絵を真似して私だけが賞をもらうのは残酷なことだなと、賞をもらった時にようやく気づいた。絵を描いている時は何も考えていなかった。

発想が素晴らしいだとかそういう理由から真似したわけではなく、ただそういうものを描く時間なのだと感じて真似しただけだから本当に酷いと自分でも思う。

 

私は大学を卒業してから師匠と呼べる存在の人についていて、制作した作品で賞を同時に二つもらったことがある。

私が制作したと言っても師匠名義なので私には何も残らない。それでも制作している時は夢にも出てくるくらい心血を注いでいて思い入れが強かった。

展示会場での仕上げ作業に際して、周りの目を気にしたのか師匠が手を出してきた。

それまで本人はあまり制作していなかったから素材を理解しておらず、余計な手を加えられると壊れそうだったので、手を出さないでほしいとお願いした。

普段はこういうことを私も言わないので、手伝うと言って雑に扱って、よくめちゃくちゃにされてきた。何もわかっていない素人である以前にとにかく雑。

それでもこの人が受注している仕事なので、クオリティよりも本人が納得する方をいつも選んできた。

この時は本人の気持ちより美しく仕上げる事を優先したかった。とにかく邪魔をされたくなかった。そのくらい私の中で特別で、思い入れがあった。

何も考えずに手をつけてきたので、それまで私が丁寧に積み上げてきたものを一瞬で崩された気分だった。

なんでこんなに酷いことができるのだろう?と考えたけれど、それは私がポスターの絵を真似して描いた事に似ていた。


教えてもらった事も学んだ事もある。それでも制作に関してはあまり尊敬できるような人ではなく、師匠であるとか、この人についていたと誰かに話す事すら恥ずかしいと感じていたので、今はすでにこの人から離れている。


先日、かねてから出たいと言っていた密着ドキュメンタリー番組に出ていたらしい。私は観ていない。

制作に関しては酷くても、自分がやりたい事への執着や達成力みたいなものが凄まじい。そこは素直にすごいと思う。

どんな人にでも尊敬できる部分はある。


周りの人達がその番組での内容について、海外での仕事の際、

とうとう本人は何もせずに連れて行ったインターンの学生に全て作らせていた。いつもPinterestから丸パクリしている。

と話していた。

私の時にもほとんど何もしていなかったし、すぐに影響されるので自分のフィルターを通すこともなく、提示されたり自分で見つけたものをそのまま他の人に投げて周りにどうにかしてもらっていた。

もうこの人は辞めるまでずっとそういうやり方なのだと思う。


有名になってきたので、業界のほうぼうから、本人は何もしていない、何をやってる人なのかわからない、大きな案件をこなしていても魂が感じられない、など耳にするようになって、その度に私は苦笑いをしている。その通りだから。

その通りでも、子供の時の何も意志がなかった自分を思い出すと周りの人たちと同じように悪く言ったりはできない。


意図を理解しないままただ真似をしたり手を出すと壊してしまう。

それをわかっているつもりでも、私も人から影響を受けるし、大切に思っていても、軽んじているように見えるかもしれない。

ただ自分が同じことをされても、理解されていないだけで壊れるわけではないと思うようになった。

それは9歳も年下の韓国人男性のお陰で、成人していても子どもだなと感じる瞬間がよくあるので、そんな子どものような人に何かを教わるなんて思いもしなかった。

そこには愛があるとわかるのと、単純に言葉や文化の壁があることで、理解するにはプロセスの説明とコミュニケーションが必要だということ。

日本に住んでいる日本の文化に慣れた人達とだけ話していると説明しなくてもなんとなくは伝わるので、ある程度の理解でコミュニケーションが終わる。

だからその先の理解されていない部分が目についてしまって、そういうことじゃないのにと諦めることがある。

きっとこの長い文章の内容も、どれだけ言葉を尽くして説明しても完全には伝わらないと思う。

 

私にも他の人にもそれぞれ人生があって、その中に変化があって、考え方も変わるし、許せなかった事も許せるようになる。過去のことを思い出すタイミングや巡り合わせがある。それは私一人で気づくことではなく、触れる人によって変わってきたしこれからも変わっていく。

2023年の夏

2014年に鳳凰の間を観に行って以来9年振りにsukekiyoを観た。

 

中学生の時に初めてライブハウスに行ってから高校生の時にはたくさんライブを通うようになって、大人になってからもたまにライブハウスに足を運んでいたけれど、ヴィジュアル系も音楽も嫌になって全部やめた。

 

大学の時の友達でヴィジュアル系が好きな人たちにかろうじて会っていたくらいであとは誰とも会っていなくて、ゆっちのサポートを観に渋谷REXに行った際にとても久しぶりな人を見かけて懐かしい気持ちになった。

高校生の時にライブハウスに行くと開演前に話してくれたりライブ前後に遊んでくれていたお姉さん達の内の1人。

アリスナインがまだセッションだった辺りかな。もう少し後かもしれない。

 

終わってから話しかけようと探したけど見つけられなかった。

同じバンドが好きで頻繁に会っていたのに、今はもう誰とも連絡をとっていないから不思議。そのバンドも解散して、セッションなんかはたまにやっているようだけど誰ももう活動はしていない。

 

私がバンギャを辞めたんじゃないかと先日会った友達が言っていた。私の中では2016年辺りには完全に終わっていたことなので、続いていたという認識だったことに驚く。

 

それでもK-POPを聴くようになって、結局は音楽が好きだと思うようになった。

男女問わずメイクもするしコンセプトもしっかり決まっているから感性が近い所もあるのかヴィジュアル系が好きだったファンも多い。

そこからHIPHOPを聴くようになった。

 

私が高校生の頃はHIPHOPやミクスチャーバンドが流行っていたのでラップは親しみがあるけど、HIPHOPだと物足りないと感じる部分があって、それはHIPHOPに足りないものではなく私がヴィジュアル系を好きだから感じる事だなと思った。

 

 

今年はゆっちのサポートを見て阿吽の密会も行って、久しぶりにsukekiyoも観て、薫さんの個展にも行った。

 

 

ゆっちのサポートは久しぶりにヴィジュアル系のライブの雰囲気を味わった。

誰の曲もひとつも知らないけど楽しい。

ヘドバンしたくないのでその時だけ周りの人の髪の毛を見守る。みんなサラサラ

 

 

阿吽の密会の日は病み上がりで、開演に間に合わない時間になっていたけどなんとなく行かないといけないような気がしてタクシーに乗って、翌日に参加する予定だったkeiのライブは体力が心配だったので見送る。

 

ディルは全員顔もかっこいいと思っていたから認識のズレを感じた。

マネージャーの方が変わっていたので時の流れも感じる。

 

 

sukekiyoは名古屋と渋谷へ。

愛した心臓が好きだけど曲前の口上も含めてどういう気持ちで聴いたらいいのかわからない。

話し合いが必要だと思う。

 

 

ノウテイカラノ2は薫さんの内面に触れる機会があまりなかったので、こういう面がある事を知らなかったし、私はこの人の感性がすごく好きだと思った。

会期が終わったら写真も載せよう。

5人描かれていた所がとても好きだった。

 

 

 

所感6---06.落ちたことのある空-PHALARIS/DIR EN GREY

 

空を見上げると眩暈がする。

飛行機の音と朝の匂い。

 

 

激しい光は、そこにある一閃の輝きさえを攫って無に帰した。

奪わないで

奪わないでよ

 

私とあなたは対等ではない。

人間は平等な存在だとしても、社会は平等にはならない。

平等を許さない構造だからだ。

 

あなたが奪ったのは私の居場所であり、あなたが踏み躙ったのは私のここでのあらゆる権利だ。

 

一瞬で全てを吹き飛ばし、跡形もなく消し去った。

 

終わらなかった

終わらなかった

終わらなかった

 

圧倒的な力でねじ伏せてしまえば全てが終わるのだと誰もが思うだろう。

想像できないのだ。

苦しみはその原因を無くさない限り長く続く。

 

人生は強制終了できない。

 

けれどそのスイッチを握っていたのは

かつての敵だった。

 

なぜ?

人生を瓦解させるスイッチをなぜ他人が持てるのだろう。

 

たった一度の長く長く短い人生を、なぜ他人に委ねてしまうのだ。

 

なぜ?

人生を狂わす価値観をなぜ他人に植え付けられてしまうのだ。

 

その才能を、その力を、その殻を

あなたがさらに突き破る日

 

あなたが押すスイッチは、

人を毀すスイッチでもなく、

あなたが自爆するスイッチでもない。

 

全てをほんの数種の枠に押し込んで、

同じ形の駒を大量生産する社会

 

黒い雲が空を覆って黒い雨を降らせた。

 

それを迎合する事も、

口だけで批判する事も、

やはり同等にその価値観に呑まれているのだろう。

 

あなたのその才能をまだ誰も知らない。

あなたさえも知らないフリをしているからだ。

見ないようにしているからだ。

 

'堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ'

抑圧と爆発は同じ線上に存在している。

爆発への導火線が抑圧であり、

抑圧されて操られるがまま爆発させられる。

 

あなたの意思ではない。

 

その形を、その凝り固まりを、

あなたがさらに突き破る日

 

救世主は駒を動かす強者でも

虐げられる弱者でもない。

それは結局他人が作り出した形容詞だから。

 

あなただけの世界に弱者や強者なんて言葉は存在しない。

あなただけしかいないのだから

 

あなたの方法を知ってよ

その使い方を知ってよ

 

誰もが理解できないのだとしたら

誰もが素通りしていくのだとしたら

 

私がその世界をこじ開けたい。

 

あなたに敵はいない。

味方もいないからだ。

 

それでも私がこじ開けたい。

 

この世界には私ひとり

私が私をこじ開けたいの

あなたは私だから。

 

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所感5---05.現、忘我を喰らう-PHALARIS/DIR EN GREY

 

人を変え、時代を変え、何度も同じ過ちを繰り返す。

 

輪廻転生があり、誰もがそこから抜け出せず、また、解脱を目指していると仮定する。

 

'百川、海に朝す'

 

ある一本の川を下っていくと、いつだって同じテンポで痺れる。

まるで落雷

抉るように、脳髄に甘く響きわたる。

そこには数多の屍が浮かんでいる。

 

泡立ち消える愛の中で幸福な感電

 

ほんのりと苦く、少しだけ痛くて、とても甘い。

渦巻くように目眩めく心地の中、甘くて苦くて甘い。

 

この大きな河川の流れから脱する事を私は本当に欲しているのだろうか。

 

あなたを失うと苦しい。

けれどあなただけが特別なわけでもない。

私だけが特別なわけでもないように

溺れるから苦しいだけ。

 

 

人を変え、時代を変え、何度も同じ過ちを繰り返す。

 

 

'omnes viae Romam ducunt'

 

We always falling that at the same tempo whenever we going a road

あなたもきっとその病に取り憑かれている。

 

首筋に噛み付いたその接点が甘く痺れる。

吸血鬼が吸血行為で永遠の命を与えるように、

生命の美しい儚さを剝ぎ取るように、

私があなたを特別な存在につくり変える事ができたらいいのに。

そしてそれがあなたを壊す行為だと尚良い。

 

私はあなたに私と同じ傷をつけたい。

そうする事でしかあなたを愛せない。

 

私の牙を濡らすあなたの血が私の肌に沁みわたって

私から滴るあなたの血が異物を溶かし爛れさせていく。

 

私たちは抜け出すべきだろうか?

この甘い病質から

 

 

人を変え、時代を変え、何度も同じ過ちを繰り返す。

 

 

真っ白なメリーゴーラウンドがある。

 

私は青い光の中で冷たい陶製の白馬に乗る。

冷めていく体温を感じながら、オレンジの光の中で笑うあなたをただ見つめる。

すれ違えど交わることはなく、その二つはただ違う方向へと進み続ける。

それぞれが同じ輪の中をぐるぐると進み続けていくだけで止まることはできない。

 

同じ人間、同じ白馬、それでも私たちは交わらない。

 

オレンジの光のあなたとすれ違う時には青い光の中を、

緑の光の中のあなたとすれ違う時には赤い光の中を通るだけだ

 

そこに特別な意味なんてない。

 

 

人を変え、時代を変え、何度も同じ過ちを繰り返しながら、

私たちは愛し合い、傷つけ合い、離別する。

 

傷つけ合っている内は抜け出せない。

同時に抜け出さないと意味がない。

それはきっと、私にはあなたではないし、あなたには私ではなかったという事だ。

 

私たちに必要なのは解脱でも涅槃でもなく、

ただそれに飽きるという事だけだろう。

 

私はその道を踏み外し、前に進もう。

 

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所感4---04.13-PHALARIS/DIR EN GREY

 

わずかな砂が煌めきながら降って来る。

 

誰もいない蟻地獄の巣から抜け出せない。

もがいてもあがいても、乾いた砂を掴んでは掌から零れ落ちていくだけだ。

私の存在ごと砂と共に滑り落ちていく。

 

頭上の世界はよく晴れ、羽ばたく音と共に影が過ぎ去っていく。

 

ここで生きていくには時間だけがあまりにも渺茫としている。

 

何もない

誰もいない

未来もない

 

過去だけがある。

過去だけがさらに深奥へ引きずり込もうとする。

 

その先には涅色の穴が開いている。

まだそこにはいけない。

まだ私は執着している。

 

誰かが引き上げてくれるのではないかと淡い期待を抱いて、手を取り這い出しても、その度に何度も突き落とされてきた。

 

頭では理解している。

その手を掴み続けなくてはいけなかった。

振り払ってはいけなかった。

そして、自分自身で抜け出さなければいけないのだという事も理解はしている。

 

同時に誰もが自力で成し得られるわけではないという事も思い知っている。

その手に縋るのはあまりにも惨めだったから。

 

一度落ちたこの巣は深くて孤独そのものだ。

けれど居心地の良さもある。

 

晴れた朝の光が砂埃に反射して、立ち上るように輝く様も

赤や橙、紫、たくさんの色を孕んだ夕焼けに染まる雲が風に流されていく様も

迫り来るように莫大な数の星がそれぞれ瞬いている様も

 

あてもなくそれらを眺めて時間だけが過ぎていく。

動いているものを見ると今が存在しているように感じる。

 

過去に呑まれなくて済む。

 

私の傍らには涅色の穴が開いている。

まだそこにはいけない。

また私は執着している。

 

誰かがこの窮屈な世界を壊してくれたらと願いながら

 

そう思う事さえも許されない。

 

 

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所感3---03. The Perfume of Sins-PHALARIS/DIR EN GREY

 

聖人の血を分け与えられた人々は

沸騰したその血に全てを灼かれて操られたように狂い出す。

 

聖人の骨を分け与えられた人々は

手にした力の加減がわからず躊躇うことなく叩きつける。

 

未満の器において暴れ狂うその血を、骨を、

神は全ての人間に平等に分け与えた。

 

誰もがそのDNAを持ちながら到達する事はできず、コントロールもかなわず

その罪を深めていく。

 

骨は別れた血を呼び、血はやがて骨に感作する。

 

神に与えられたまま育み、

満たないその器から溢れさせる。

 

聖人とは善良なだけの生き物ではない。

衝動的な血を、暴力的な骨を、その器の中に秘めている。

どれだけ波立たせても、どれだけ揺さぶられても

一雫そこに落とすだけで全てを凪ぐ。

叩きつけるように強いその雫は、一定の波紋を作り、そこに静穏をもたらす。

 

聖人とは、同じ人間である。

神や聖人を神聖視する事で信心を持ち、

信心は人間に安寧をもたらす。

 

聖人の血を持つ者は、聖人が聖人であらんとする事を求めて絶望する。

聖人の骨を持つ者は、己に聖人あらざる部分を見て絶望する。

 

罪の香りは甘く漂う。

たった一瞬、そこに展かれた過ちの薫香に人は惑わされてしまう。

 

誰もが聖人のDNAを持ちながら到達する事はできず、コントロールもかなわず

生まれついての罪を深めていく。

 

 

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