charlotte_for

所感

触れる人で変わること

小学生の時に新宿区の平和のポスターコンクールで賞をもらったことがある。

私が描いたのは地球の上にいる様々な人種の子どもたちが手を繋いでいる、it's a small worldのような絵。

新宿区には外国人が多く住んでいるので、子どもがそれを平和の象徴として描いていることが選出された理由かなと今の私は考えている。実際の受賞理由はわからない。


学年に一つしかない私のクラスにも外国人の子やハーフの子が何人かいた。ご両親が台湾人で日本生まれの子、お父さんの仕事の都合で日本に来た中国人の子。韓国のハーフの子。

そういう環境だから人種なんて関係なく仲良くしよう、差別はやめようと私が意識していたのではなく、小学生の時の私は意志が全くなくてただ同級生が描いていた絵を真似しただけだった。

どのくらい意志がないかというと、将来なりたい職業は何かと聞かれたらアイスクリーム屋さんかケーキ屋さんと答えていた。甘い物が食べられないのに。

周りがそう言っていたからそういうものなのだと思っていた。

仲の良い友達が公文に行っていたから公文に通っていたし、友達2人でどちらが私と遊ぶかで揉めていた時も、3人で遊べばいいのにと思って黙って見ていた。だけど3人で遊べるように提案したりはしない。

とにかく意志がない。


私が絵を真似したその子は台湾のハーフでお母さんが台湾人だった。

お父さんが日本人なので、名前も日本名で、ハーフだと知らなければ外見ではわからなかった。何か違う所といえば宗教上の理由なのか子供の時からピアスをしていたくらい。


その子はハーフを理由にいじめられていた。


そんなわけない。日本生まれの台湾人の子も中国人の子もいじめられてはいない。

韓国のハーフの友達もいじめられてはいない。

ただ可愛いから誰かが嫉妬してとかそんな理由だったと思う。いじめに正当な理由なんて存在しない。

ただ叩きやすい所を見つけて、人の弱みにつけ込んでストレスを発散したいだけ。

それでもその子は自分のルーツを大義名分にされていじめで傷ついていたのだから、その切実な、希望のような絵を真似して私だけが賞をもらうのは残酷なことだなと、賞をもらった時にようやく気づいた。絵を描いている時は何も考えていなかった。

発想が素晴らしいだとかそういう理由から真似したわけではなく、ただそういうものを描く時間なのだと感じて真似しただけだから本当に酷いと自分でも思う。

 

私は大学を卒業してから師匠と呼べる存在の人についていて、制作した作品で賞を同時に二つもらったことがある。

私が制作したと言っても師匠名義なので私には何も残らない。それでも制作している時は夢にも出てくるくらい心血を注いでいて思い入れが強かった。

展示会場での仕上げ作業に際して、周りの目を気にしたのか師匠が手を出してきた。

それまで本人はあまり制作していなかったから素材を理解しておらず、余計な手を加えられると壊れそうだったので、手を出さないでほしいとお願いした。

普段はこういうことを私も言わないので、手伝うと言って雑に扱って、よくめちゃくちゃにされてきた。何もわかっていない素人である以前にとにかく雑。

それでもこの人が受注している仕事なので、クオリティよりも本人が納得する方をいつも選んできた。

この時は本人の気持ちより美しく仕上げる事を優先したかった。とにかく邪魔をされたくなかった。そのくらい私の中で特別で、思い入れがあった。

何も考えずに手をつけてきたので、それまで私が丁寧に積み上げてきたものを一瞬で崩された気分だった。

なんでこんなに酷いことができるのだろう?と考えたけれど、それは私がポスターの絵を真似して描いた事に似ていた。


教えてもらった事も学んだ事もある。それでも制作に関してはあまり尊敬できるような人ではなく、師匠であるとか、この人についていたと誰かに話す事すら恥ずかしいと感じていたので、今はすでにこの人から離れている。


先日、かねてから出たいと言っていた密着ドキュメンタリー番組に出ていたらしい。私は観ていない。

制作に関しては酷くても、自分がやりたい事への執着や達成力みたいなものが凄まじい。そこは素直にすごいと思う。

どんな人にでも尊敬できる部分はある。


周りの人達がその番組での内容について、海外での仕事の際、

とうとう本人は何もせずに連れて行ったインターンの学生に全て作らせていた。いつもPinterestから丸パクリしている。

と話していた。

私の時にもほとんど何もしていなかったし、すぐに影響されるので自分のフィルターを通すこともなく、提示されたり自分で見つけたものをそのまま他の人に投げて周りにどうにかしてもらっていた。

もうこの人は辞めるまでずっとそういうやり方なのだと思う。


有名になってきたので、業界のほうぼうから、本人は何もしていない、何をやってる人なのかわからない、大きな案件をこなしていても魂が感じられない、など耳にするようになって、その度に私は苦笑いをしている。その通りだから。

その通りでも、子供の時の何も意志がなかった自分を思い出すと周りの人たちと同じように悪く言ったりはできない。


意図を理解しないままただ真似をしたり手を出すと壊してしまう。

それをわかっているつもりでも、私も人から影響を受けるし、大切に思っていても、軽んじているように見えるかもしれない。

ただ自分が同じことをされても、理解されていないだけで壊れるわけではないと思うようになった。

それは9歳も年下の韓国人男性のお陰で、成人していても子どもだなと感じる瞬間がよくあるので、そんな子どものような人に何かを教わるなんて思いもしなかった。

そこには愛があるとわかるのと、単純に言葉や文化の壁があることで、理解するにはプロセスの説明とコミュニケーションが必要だということ。

日本に住んでいる日本の文化に慣れた人達とだけ話していると説明しなくてもなんとなくは伝わるので、ある程度の理解でコミュニケーションが終わる。

だからその先の理解されていない部分が目についてしまって、そういうことじゃないのにと諦めることがある。

きっとこの長い文章の内容も、どれだけ言葉を尽くして説明しても完全には伝わらないと思う。

 

私にも他の人にもそれぞれ人生があって、その中に変化があって、考え方も変わるし、許せなかった事も許せるようになる。過去のことを思い出すタイミングや巡り合わせがある。それは私一人で気づくことではなく、触れる人によって変わってきたしこれからも変わっていく。